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特集: 米加誌インタビュー 「デビスカップ、全米オープン、ATP WTAツアーでのガット張り」
以下はインタビューからの文字起こしです。
インタビューその1でのトーク内容:
☆本場修行の一環(*1)としてのATP、WTAツアー、USオープンでのストリンギング(*2)等
*1. 「全体の一部分」の意味 *2. 日本ではガット張りと呼ばれている
☆テニス四大大会、ツアーでガット張りをする意味は何だったか
☆CS*認定ストリンガー、MRTマスターラケットテクニシャン、USRSAテスター推挙までの経緯等
*Certified Stringerの略
USRSAとは世界最大のストリンガー団体
米加誌: USRSAアジアテスター、今日は時間をありがとう。初めに北米テニス市場では東アジア人で初めてと思われる、本場でのラケットサービス修業と、そこからUSRSAアジアテスターに選ばれる経緯をお伺いしたい。あなたの師匠プラッケン氏の門を叩いたのはいつのことか。
プロストリンガー店主: 師への丁稚奉公が始まったのは1987年。最初から全てを習い、他人のラケットを触れる職業資格を取得したのは1989年です。計5年間師事しました。
米加誌: サンディエゴ大学在学中に師事したのですね。
プロストリンガー店主: はい、師はミシガン州立大学卒で、弟子たちには優秀な成績で卒業しろと。ラケットサービス流派の開祖のみならず、勉学には厳しい人です。
米加誌: USRSA米国ラケットストリンガー協会からアジアテスターに推挙されたのは。
プロストリンガー店主:当時の職業資格では一番上のマスターラケットテクニシャンの資格が発足して直に取得し、そのマスターラケットテクニシャンの合否を判定するUSRSAアジアテスターに現地の推薦者多数から推挙されました。テスターは実技手本を見せて審査されます。本場市場での信用がないとテスターになるのは難しい。多数の米国籍の業界先輩方からの推薦があってのことです。アジア人に与えるとは画期的なことです。
米加誌: 本場修行で、今思い起こして活かされていることは何ですか。又、修行中はATP、WTA,デビスカップでのラケットサービスを経験したと現地関係者複数から聞いております。その時の経験など。
プロストリンガー店主: 当時のテニスメッカは北米でしたから、テニス人口の多さは当然だったでしょう。そして、競技テニスで成功する仕組みが、1980年代既に確立されていたと思います。師は、我々弟子に大会サポートに積極的に参加するよう促していました。基本的に交通費は出ますがATP、WTA大会では無報酬が常識でした。カリフォルニア州内で開催される大会は、交通費も出ないことがありました。ランチ代が出る現場はありましたね。予選と1回戦が終わるまでは、一人少なくて30本前後のストリンギングをします。リージョナルマネージャーが、現地でボランティアのストリンガーを探しているのが実際でしたね。同僚のダレンはUS
オープンに二度無報酬で行きました。もう二度と行かなくていいと言ってましたよ(笑)。交通費から宿泊費まで全部自分持ちでしたから。ツアーに出向いて、そこでストリンギング作業をするのは、技術者として独立する前の修行の一つと考えていました。二十歳台前半の修行時代にやったから意味があったんだと確信します。
米加誌: 頷けます。
プロストリンガー店主: ええ、職場のテニスショップは繁忙期ですから、弟子が修行で大会奉仕で休業すると、てんてこ舞いでした。ですから、師匠も、店のストリンギングサービスに支障が出るので、10回やったら卒業ってことになっていました。ツアーにボランティアでストリンギングに出向くのは、ただただ数をこなして現場の見聞を広める修行の一環です。少なくとも、我々のラケットサービス流派では、25歳を超えたら自分の技術を支持する顧客に集中です。
米加誌: デビスカップでの印象はどうでしたか?
プロストリンガー店主: マッケンローのテニスへの深い思いと偉大さが伝わってきましたよ。米仏戦、サンディエゴアリーナでの3日間で、逸話を間近に目にしました。そして、アガシのデ杯デビューでもありました。デ杯はATP,WTAツアーとは話が違いました。
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参考資料: USRSA機関紙 2000年5月号 新USRSAテスター選出
筆 USRSAアメリカ合衆国ラケットストリンガー協会 アジアテスター(2000年〜)
認定マスターラケットテクニシャン
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